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スペシャル インタビュー Special Interview

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モデルの仕事を続けられるかどうかの一大事だった乳がん経験は自分自身に大きな自信を与えてくれた。MAIKO さん vol.5 /プロフィール 1969年生まれ。18歳からモデルを始め、FENDIやChloe、ヒロコ・コシノなど数多くのファッションショーに出演。現在はSTORYなどの女性誌や広告などで幅広く活躍中。食や癒しへの関心も高く「環境セラピー・ジュニアセラピスト」「ビューティライフ・セラピスト」など数多くの資格をもつ。著書に「モデル、40歳。乳がん1年生」(KKベストセラーズ)

「モデル、40歳。乳がん1年生」出版社公式サイト

モデルの仕事一筋で「天職」だとおおらかに話してくださったMAIKOさん。乳がんの治療は、バストの問題や手術後の傷跡、抗がん剤治療の脱毛など、モデルとしての容姿にさまざまな影響を与えたはずです。けれどもプロとして自己管理を徹底し、今も相変わらず透明感のある肌とスラリとしたプロポーションを維持し、乳がんだったことを微塵も感じさせない美しさ。その美しさは私たちに感動とたくさんの勇気を与えてくれています。

セルフチェックで乳がんのしこりを発見

私の母は乳がん経験者。がんへの不安はずっと心の片隅にあったので意識的にセルフチェックはしていたのです。そろそろ乳がん検診にも行こうかな、そう思い始めた矢先に左の乳房の下に2センチ程度のポッコリとしたしこりを見つけました。2008年の10月末のことです。
1週間後には病院で針生検・マンモグラフィー・エコー・触診の検査を受け、エコーと触診をした先生からは95%は大丈夫でしょうといわれ、ホッとしたのですが……。一週間後に検査結果を聞きに行ったら、検査結果は想定外だったと切り出され「悪性ですね。しこりは2センチの早期(ステージⅠ)ですが全摘をお薦めします」と突然の乳がん宣告。全身が凍りついたようになり、先生の言葉も耳に入らなくなり、診察室を出てお会計を済ませた頃から突如、涙がわーっとこみ上げてきました。
モデルの仕事は続けられるの? モデルをやめることになったら、この先どうしよう。私は死んでしまうの? 頭の中はどうしよう?どうしよう?のオンパレードです。今思えば一番辛かった瞬間だと思います。

中学3年生になる息子のためにも治療を乗り切らねば、と

私は18歳でモデルになり、ファッションショーに女性誌にと順調にキャリアを重ねてきましたけれど、モデル以外の仕事をしたことがありません。私生活では、24歳で結婚して翌年には息子を出産。34歳で離婚して現在はシングルマザー、一家の大黒柱なのです。乳がんによって容貌が変わりモデルを続けられなくなったら……。天職だと思っている仕事を失う辛さに加えて、生活への不安も重くのしかかります。
乳がんを宣告された日は不安でいっぱいになり、離婚後も良好関係を築いている元夫と事務所のマネージャーにすぐに電話をして一部始終を話しました。元夫はすぐに中学3年生になる息子に電話で「一緒にママを支えよう」と伝えてくれたようです。私は帰宅してすぐに息子に話そうと「ママ、実はね・・・」と切り出したら、「パパから聞いた、大丈夫だよ」と。そしてやさしく私を抱きしめて「大丈夫だよ」とハグしてくれたのです。いつのまにこんなに成長したのだろうと感動してしまいました。
そして息子のためにも頑張らなくちゃ、と勇気が沸いてきたのです。

全摘出といわれていたけれど温存手術でいけることに

私は乳がんになった人には迷わずにセカンドオピニオンをお奨めします。私の場合はサードオピニオンまで求めました。
病院を変わるたびに1から検査をしなければならず、針生検、CT、MRI、マンモグラフィー、血液検査、センチネルリンパ節生検と色々な検査を受けました。個人差はありますけれど、これらの検査には苦痛も伴いますし、一度で終わらせたいのは山々。けれども自分の体にメスを入れるのですから納得いくまで検査をして意見を求めた上で決断をしたかったのです。サードオピニオンを求めた聖路加国際病院の担当医から「温存でいきましょう」と言われたときは、全摘出ではないのね、胸も残せてモデルも続けられるのね、そんな気持ちでいっぱいになりました。
乳房を残して転移を心配するより全部摘出したほうが安心なのでは、という意見もあります。温存手術ということは乳房と一緒に将来の危険だって「温存」することになるかもしれません。
けれども「温存で大丈夫だから温存手術でいきましょう、と申し上げたのです」そうキッパリ言い切ってくださった担当医に命を預けよう、とストンと決心できたのです。

自分の乳がん経験を悩んでいる女性たちのために役立てたい

2008年10月末にしこりを見つけ、2009年2月にサードオピニオンを求めた聖路加国際病院で手術をすることになりました。手術のことを創刊当時からお世話になっている40代のための女性誌「STORY」に話したら、乳がんについてMAIKOさんからのメッセージを読者に伝えてはどうかと取材のオファーが来たのです。周囲に相談をしたところ「STORYの読者は乳がんが気になる世代だしMAIKOの言葉は読者を勇気づけられるんじゃない?」そう言われて、この頃から乳がんになった女性たちのためになるなら何かを発信していきたいと思うようになりました。
特に乳がん経験者の先輩、美容ジャーナリストの山崎多賀子さんを見ていてその気持ちは強くなりましたね。ご自身の経験を生かして乳がん体験者コーディネーターの認定資格を取得し、NPO法人キャンサーリボンズの理事をつとめていらっしゃいます。私自身は抗がん剤治療について色々なアドバイスを頂き、すごく感謝しています。

やっぱりショックだった抗がん剤の副作用「脱毛」

2009年2月に手術を受け、手術後の治療として担当医からは、①抗がん剤治療3ヶ月(4クール)②放射線治療1ヶ月 ③ハーセプチン治療1年 ④ホルモン療法5年 を提案されました。
私のがんはステージⅠで転移は見られなかったものの、転移の可能性がある浸潤がんとのこと。他の部位に潜んでいる可能性がゼロとはいえず、それを叩き潰すために手術後の抗がん剤治療は必須といわれたためです。覚悟はしていたものの、抗がん剤治療を受けてごっそり脱毛してしまった母親の姿を見ていただけにショックは隠せませんでした。モデルとして大丈夫なのか? 眉毛やまつげまで抜けるって本当だろうか? 非常に抵抗はありましたけれど他に選択肢はなく3月末から抗がん剤治療を受けることに。
始めに吐き気止めを点滴してから抗がん剤を点滴するのですが、とにかく気持ちが悪くてむせかえるような感覚。実際に吐いてしまうわけではないけれど……ちょうどつわりのような感じです。抗がん剤治療を始めて2週目には頭皮にピリピリとした刺激を感じるようになり、徐々に頭髪も抜けてきました。ある朝、白い枕が抜けた毛で真っ黒になり、さすがに落ち込みました。4週目にはごっそり抜けたので潔く坊主頭に。坊主頭にしたら「意外といいな」と新たな発見。ウイッグも色々変えて期間限定のおしゃれを楽しめたと思います。

人に甘えられるようになったこと、幸せをより感じられるようになったこと

ようやく抗がん剤治療が終わったと思ったら、次は1ヶ月間の放射線治療、その後はハーセプチン点滴にホルモン療法と乳がん治療は本当に長丁場になります。
けれども長丁場の治療を1つ1つ乗り越えてきて、今の本音は「意外とがんばれるものだな」「乗り越える力を身につけられたな」そんな感じで自分自身に自信を持てるようになりました。乳がんになってからは日常の些細なことに幸せを感じられ、人に感謝できるようになり、顔つきも変わったといわれます。
最大の変化は、人に甘えて人に任せられるようになったことでしょうか。以前の私は人の好意に甘えることもできず自分で抱え込んでしまうタイプでしたけれど、今はもっと力が抜けて人との垣根も低くなったように思いますね。

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