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スペシャル インタビュー Special Interview

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女性ガン患者のサポートシステムHaNAを通じて自分の経験を役立てたい。岡村 麻未 さん vol.4 /プロフィール 日本医科歯科大学卒業 歯科医/メディカルエステティシャン 2000年に歯と肌のトータルクリニック「キャシーズチョイス フェイスケアラボ」創設、2008年に乳がん治療のために休業に入る。現在は女性がん患者のサポートシステムHaNA代表。著書に「美人のお稽古」(幻冬舎)など。

女性ガン患者のサポートシステム、HaNAを立ち上げた岡村麻未さん。ガンを特別な病気や困難ととらえず、もう一度自分の人生を考える機会ととらえ、ガンと共存しながら自分らしく生きることを提唱しています。岡村さんご自身にとって"自分らしく生きる"とは、2度のガン宣告を乗り越えた経験者として、歯科医・医療従事者としての知見を生かし、女性ガン患者を支えることでした。あらゆる苦痛を伴ったというガン経験は、今、岡村さんの未来を照らしているのです。

34歳で一回目のガン宣告。何となく予感はありました。

昔から直感的に自分はガンになるのでは……なぜかそんな予感がありました。その予感は的中し、ガン宣告は2回。1回目は今から14年前、34歳のときに子宮頸がんを宣告されたのです。まだ0期だったのでガンに対して深く考えず、一つの転機のように捉えていました。
その頃、歯科医として歯の健康と美しさに携わってきた私は、歯を含めた顔全体の治療を考えはじめていました。そのためにはNYに腰をすえてメディカルエステを学ぼう、資格を取ろう、と。アメリカはガン先進国、NY滞在はガン情報の収集にも有益なので思い切って渡米しました。
かれこれ3年間NYで、肌と歯の再生について学び、2000年に帰国。歯と肌のためのトータルクリニック「キャシーズチョイス フェイスケアラボ」を設立したのです。

2006年、44歳で左右に乳がんがあることが発覚して・・・

日本に帰国した私は「キャシーズチョイス フェイスケアラボ」の運営に忙しく、夜は毎晩のように取材ラッシュ。歯と肌について女性誌のインタビューを受け続けました。 2003年頃から左胸にしこりを感じていたものの、触るたびに移動するので昔の乳腺症によるものだと判断していたのですが・・・・。2006年の秋「しこりが動かない!」と気づいて、慌てて病院へ。マンモグラフィー、エコーと生検の結果、左胸の乳がんを宣告されました。その日は自分の感覚も研ぎ澄まされていたのでしょう、自ら右胸を触診して新たにしこりを発見したのです。触った瞬間とても不安になり「先生、右胸にも、しこりがあります!」と担当医に訴えました。右胸はマンモグラフィーと病理検査だけでは確定できず、最終的にマンモトーン生検で乳がんと判明したのです。左胸2.5cm、右胸1.7cm。左胸だけでなく右まで・・・。私はメディカルエステで美に関わる仕事に携わっています。左右の胸を全部摘出することは到底考えられませんでした。私のガンは担当医によれば「顔つきは悪くない」つまりそれほど悪性ではないとのこと。温存手術を検討していたものの、手術後の事例を見ていてなかなか納得できず、いっそ全部摘出すべきなのかと悶々としていました。

手術か、抗がん剤か、治療方法を決められずに悩みました

2006年末、さらに追い討ちをかけるようにリンパ節の精密検査でリンパへの転移を知りました。抗がん剤治療に切り替えるように担当医に言われ、目の前が真っ暗に。その頃はメディカルエステに加え、スキンケアの化粧品も立ち上げて毎日のように美について語っていたのです。容貌を大きく変える抗がん剤治療をそう簡単に決意できるものではありません。
答えを出せないまま時間だけが過ぎ、担当医からは「仕事と命、どちらが大事ですか?」と詰問される事態に。乳房を左右、全部摘出する、温存手術する、抗ガン剤治療を受ける。これらの選択肢の中に解答を見出せないまま1人で苦しんでいたように思います。
そんなある日、親しくしていた内科医の女性が尋ねてきたのです。突然、「私は、あなたの主治医にもなれないし、これを受け取って! あなたが楽になれることに使って欲しいの!」と100万円の現金を手渡されました。こんなことを、他人にさせてはいけないなと。このことが、すべての事を整理して、もう一度生きるために治療に取り組もうと、決心させたのです。

ドイツへ渡って免疫療法にトライ

私を心配してくれる友人たちの気持ちに触れて、やっと乳がんの治療に踏み出せたのかもしれません。乳がん宣告から既に2年たっていました。私に100万円を差し出した内科医の彼女から「ドイツで免疫療法治療を行っている日本人医師がいるの」と紹介され、直感的にそこへ行こうと思い立ったのです。
この免疫療法は「ヤドリギ療法」と呼ばれる2週間程度の入院治療。ヤドリギの抽出液をお腹に皮下注射して体温を42度まで上げてがん細胞をたたきます。がん細胞は熱に弱いですからね。
42度の高熱にうなされて苦痛を伴いましたけれど、この免疫療法は気力・体力の向上にすごく有益。日本に帰ってから前向きに乳がんと向き合えるようになりましたから。

告知から2年、やっと乳がん治療に前向きになれた

ドイツで受けた免疫療法をきっかけに、それまで延ばし延ばしにしていた治療に向き合うことになりました。まずは抗がん剤。抗がん剤の有効性テストを受けた結果、私のガンへの適性は低かったので結局抗がん剤は見送りに。その代わりに女性ホルモンを抑制するホルモン療法を受けながら経過観察していたのです。残念なことにガンはあまり小さくならなくて、それでやっと手術を決意できたのです。手術は2009年の9月、告知から3年経過していました。
手術は当然、全部摘出だろうと覚悟していたら、担当医から温存でいこうと提案されました。左リンパ節に転移していましたが、仕事復帰への事を考え、リンパ節は触らないと書面で確認して、手術に臨みました。術後の胸を見て、乳がん宣告からの3年間に手術技術も、進歩したのだとわかりました。自然に近い形で残せたと思います。
温存手術後は4週間の放射線治療をスタート。放射線治療は被爆のようで、乳首はカビが生えたようになり皮膚はボロボロ……。けれども落ち込む一方で"よし、キレイに皮膚を治そう!"と色々試行錯誤して自分なりのバストケアを研究するほどに。自分の経験を多くの女性がん患者のサポートに生かそうと意欲的になれたようです。

復帰後の人生は、女性がん患者のサポートシステムHaNAに

ガンは、心と体の苦痛、社会的苦痛、死と向き合う苦痛、本当に全人格的な痛みを伴います。私は1人でガン宣告や転移の告知を聞くことの心細さや寂しさを体験し、ガンと共存しながら自分らしくありのままに生きることの難しさを痛感してきました。
そして、2度目のガンである乳がんの経験は、生きる意味を問い直す、人生を考えるきっかけになったと思います。それまでは歯科医でありメディカルエステティシャンとして歯と肌の美しさに携わってきましたが、もう一度社会復帰をする時には命を見つめる仕事をしよう、と。そして手術を終えて放射線治療を乗り越えたとき、ごく自然に、女性がん患者のサポートシステムHaNAを立ち上げることを決断していたのです。
HaNAとはHealth and Natural Act の略称。ガンの予防、治療中の心と体のケアーのサポート、社会復帰、術後のリハビリのお手伝いをすることを目的としています。1人暮らしの女性ならガン告知に一緒に立会う、治療方法に迷っていたらセカンドオピニオンを探すなどの医療コーディネイトを行う、そんなキメ細かなサポートをしていければと。そしてガンを、特別な病気や困難ととらえずに、もう一度自分の人生を考える機会ととらえ、共存しながら、その人らしく生きられるように支援していきたいと思っています。

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