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スペシャル インタビュー Special Interview

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娘のために生き抜かねば、と覚悟を決めました。ママ達にも必ず検診を受けて欲しい。中山 み登り さん vol.3 /プロフィール ルポライター・エッセイスト。20代は日産・ミスフェアレディ、フリーアナウンサーと華やかな世界で活躍。30代から執筆活動に転向。人気女性誌「VERY」で7年間に渡り「女性の生き方」のルポルタージュを担当した。著書に「二度目の自分探し」(光文社知恵の森文庫)、「仕事も家庭もうまくいくシンプルな習慣」(PHP文庫)ほか多数。39歳で出産。小学2年生の娘を育てるシングルマザー。

エッセイストとして女性の生き方について執筆されている中山み登りさん。乳がん経験後に書かれた著書には"命の重みを感じながら生きる年月は、漠然と生きる年月とは質が違う。小さなことに幸せの針が動くから「楽しい」「嬉しい」と感じる瞬間が何倍にも増える"そんな一節があります。乳がんになって得たものは大きかったという中山さん。その"得たもの"を心の中に留め、新しい人生を歩き始めています。

突然の乳がん告知。シングルマザーだから恐怖感が倍増しました

私の乳がんは「44歳になったし」と軽い気持ちで受けた世田谷区の検診で見つかりました。検診を受けたのは2007年7月。翌月結果を聞きに病院に行くと、マンモグラフィーの画像で右の乳房に7ミリほどのしこりがあると告げられたのです。その後、細胞診、組織検査を経て、3週間後、乳がんと告知を受けました。実は私の母は、子宮頸がんの経験者なので、がんになるなら子宮がんではと漠然と考えていたのですが、まさか乳がんとは……、自覚症状もなかったので本当に驚きました。
告知された時、頭をよぎったのは「もし私に万が一のことがあったら、子供はどうなるの」という不安でした。当時、一人娘は保育園の年中さんで、私はシングルマザーで子育てをしていたもので、親のスペアがいない立場だからこそ、がんを告知された時の恐怖が何倍にも膨らんだのだと思います。

周囲の人に支えられて、不安のトンネルから脱出

9月中旬に乳がんを告知され、11月の手術までの間に、悩んだ末、すべての仕事を降板することに決めました。どの仕事も愛着がありましたが、もし闘病が長引いた場合、中途半端に仕事を残して穴を開けては編集部に迷惑がかかる。それだけは避けなければと考えたからです。
今振り返ると、私自身がいちばん不安定だったのは、告知からの数週間でしたね。突然のがん告知で、その現実をちゃんと受け入れきれずにいました。術前検査でCTやMRI検査を受けた時も、顔中に恐怖が張り付いていたと思います。でも、不思議なものでじきに自分ががんになったということに慣れてくる。受け入れられたんですね。その途端、恐怖が闘志に変わっていったように思います。
私の場合、手術前のインフォームドコンセントで、脇の下のリンパ節に炎症があることが確認されていました。これが「がんの転移」によるものか、「単なる炎症」なのか、それは手術中の検査で判明するということで、「(手術して)開けてみないとわからない」状態でした。それでも、手術の前には腹をくくっていました。どんな結果が待っていようと、子供のために必ず治すと。
こういう気持ちになれたのは、周りの支えがあったことも大きかったと思います。70代の両親が「絶対大丈夫!」と勇気づけてくれたり、友人がかけつけてくれたり。娘がお世話になっていた保育園の先生方の「娘さんのことは園に任せて!」という言葉や、仕事関係の方々の「待ってるよ」という言葉も支えになりました。そして主治医の丁寧なインフォームドコンセントも。周囲の支えがあったからこそ、前向きに病と闘おうと気持ちが切り替わっていったのだと思います。

当時5歳だった娘の姿に胸を打たれ・・・

入院前夜、娘はなぜか鼻をつまんで天井を見上げていました。何をしてるんだ?…疑問はすぐに解消しました。一緒にテレビで観た映画「涙そうそう」の中で、"悲しいときは鼻をつまむと涙が出ない"というおまじないのシーンがあって、娘はそれを実践していたのです。娘の手には私が書いた手紙が握られていました。「ママの入院中、バーバと待っててね」、文面を読んでいたら悲しくなって、でも泣いちゃダメだと娘は鼻をつまんで涙を我慢していたのだと思います。そんな娘の存在は、言うまでもなく私にとって、誰よりも大きな支えであり、一番の応援団でした。
手術の日は、乳がん経験者として先輩でもある、美容ジャーナリストの山崎多賀子さんが付き添ってくれました。術後、医師から説明を受けた山崎さんと母は、私がいる回復室に息を弾ませ飛び込んできて「大丈夫だったよ!」と。不安材料だったリンパ節への転移がなかったことを伝えてくれたのです。予定通り、右の乳房は温存でき、病理検査の結果、早期がんと診断されました。
けれども乳がんは手術して終わりという病気ではありません。私は温存手術だったので、術後1ヶ月後から放射線治療をスタート。この治療は、1週間ほどしてから軽い吐き気やだるさ、皮膚が赤く日焼けしたようになるといった副作用がありましたが、大きな苦痛をともなうものではありませんでした。25回の放射線治療が終わったら、今度は再発予防のためのホルモン療法を開始。投薬治療は5年にも及ぶため、乳がんは本当に長期戦だと思い知らされました。

命の重みを感じて生きられる日々は本当に幸せです

乳がんになり命の大切さを目の当たりにしたからでしょうね、小さなことにも幸せの針が動きます。「楽しい」「嬉しい」と思える瞬間がずっと増えたので、漠然と生きていた以前より今の方が幸せの感度が高くなっています。娘との時間も大切にしたいので、働き方も見直しました。時間に追われる雑誌の仕事をしばらく離れ、1つのテーマにじっくり取り組めるような働き方を目指しています。目下、子育てに関する単行本の出版の向け、取材を続けています。病気を経てようやく、自分らしいペース配分で子育てと仕事ができるようになったと思います。
乳がんを経験してからは、折に触れ乳がん検診の大切さを周囲のママたちに伝えています。「安心するために検診を受けて」と。あくまでも自分のできる範囲で。子育て中のお母さんたちは忙しいから自分のことはつい後回しにしがちですが、1~2年に1度は乳がん検診の時間を作ってほしいですね。早期に発見できれば、早期に治療に入れる。それは、自分のためだけでなく、結果として家族のためにもなるのですから。

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