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スペシャル インタビュー Special Interview

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もっと早く発見できていたら・・・乳がんは、どう生きるかという「生き方の尊厳」の学びでした。中村 ますみ さん vol.2 /プロフィール モデルとして業界に入り、歌手としてデビュー。CM出演や番組アシスタントなどのタレント活動を経て、作曲家中村泰士と結婚。1995年に乳がん発病。現在、~健康で若々しく心穏やかに歳を重ねてゆく~「スローエイジング」の概念を提唱。メイクやフェイスマッサージ、オリジナルボデイケア、食事などを通じて、老化は「スロー」に迎える事は可能であるとする「スローエイジング」を実践中。2006年に(有).M'mドットエムズエム設立。同年4月に「生命(いのち)の話をしよう」CDリリース。現在、「スローエイジングデザイナー」として講演、ライブ活動、メディカルメイクアップアーティストとして活動中。http://www.dot-mm.com/

中村ますみさん公式ブログ

54歳という年齢をまったく感じさせず、驚愕の若さと美しさを保っている"美魔女"のお1人、中村ますみさん。ご自身の提唱する"老化はスローに迎えられる"というスローエイジングの概念を証明されています。現在は乳がん体験談を積極的にセミナーで話したり命の尊さを表現したCDをリリースするなど、さまざまな乳がん啓蒙活動で活躍中。乳がん手術をされてから15年間、美しく溌剌と活動されているその姿は「乳がんになってもあんなに美しくお元気でいられるんですね」と全国の患者さんに希望を与えています。

乳がん宣告を受けたとき、すでにステージ3のレベル4でした

乳がんの宣告を受けたのは15年前の専業主婦だった頃、39歳の誕生日でした。
実は乳がん宣告より8年も前に、胸にしこりを感じて産婦人科で検診を受けた際、医師から「今は大丈夫、半年以内にまた来てください」と告げられていたのに、その後8年間放っておいてしまったのです。がんは、良性から悪性になるのに8~10年かかり、乳がん宣告時にはステージ3の末期状態(レベル4)でした。「来年の桜は微妙ですね」と言われ、あと何回桜を見られるのだろう、と絶望し、「なんで私なの?」と現実を恨みました。
けれども幸いなことに術前検査で転移は認められませんでした。
手術は右乳房を全摘出しました。入院は2週間、その後2週間おきに検診を受け、転移はなく抗がん剤治療も放射線治療も受けずに済みました。
ただし、手術してそれで終わりではありませんでした。女性ホルモンのエストロゲンを抑制するホルモン療法を5年間続けました。このホルモン療法は、私にとって非常に辛かった。更年期に行う女性ホルモンを投与するホルモン療法とはまったく逆で、自分の身体は正常に女性ホルモンを作り出し生理になりたがるのに、薬で無理に止めるわけです。このギャップによる副作用に本当に苦しみました。自律神経に影響するので心身はバラバラ、ホルモン療法は自律神経に影響し、心身のバランスが取れなくなってしまいます。

副作用でうつ状態、太って肌あれして最悪の事態に

ホルモン療法を始めてから、ずっと無気力でした。思考回路はマイナス。コンプレックスもあり、人の優しさに対して素直になれない自分がとても悲しかったです。今にして思えば完全にうつ症状でした。病院で多くの乳がん患者さんと知り合いましたが、小さなお子さんや、年老いたご両親を残し亡くなられた方の想いはどれほどかと思うと世の無常に相当落ち込みました。一時的ならともかく5年間ですからね。乳腺外科では心のケアまでは行ってくれません。
それに、ホルモン療法の薬の副作用で太りやすくなるのです。10キロ以上太る方も多いそうですし、太れば周囲は「元気になった」と安心します。ところが肥満は大敵、皮下脂肪には"擬似的な女性ホルモン"が存在していて、がんを刺激するんですね。太る薬を飲んでいるのに太るのは厳禁、これは辛いです。この時生まれて初めて食事制限をし、軽い運動を習慣にして太らないように気をつけ、なんとか3~4kg増で抑えましたが、私の場合、生理が始まるべき時期になると体のむくみが半端ではなく、顔は勿論、手足の指までむくんでまるで別人のようになってしまいました。
それだけではありません。ホルモン療法期間中は薬で女性ホルモンを止めているので、副作用で肌荒れして老人性脂漏性湿疹に。私は特に目と口の周りがボロボロに荒れて、鏡を見るだけで憂鬱な気分になりましたね。

乳房再建手術を受けて、幸せのあり方に気づきました

長かったホルモン療法期間も終わり、手術から8年後、全摘出した右側の乳房を再建する再建手術を受けました。4回の手術にトライし、この頃に色々な「気づき」を得たように思います。
それは幸せの正体。幸せは人それぞれ。幸せは日々の中のすぐ傍にある。そして「外見」「健康」「心」この3つのバランスがとれて、初めて幸せを感じるのではないでしょうか。幸せは手に入れるものではなく・・たとえていえば、テレビのチャンネルを変えるように心のチャンネルを変えれば必ず見つかるものではないでしょうか。「ないものねだり」や「無理」は幸せを遠ざけますよね。
この頃から、私にも何かできるのでは・・・という気持ちになり、ちょうどその頃にメディカルメイクに出会ったのです。
ホルモン療法中に副作用で肌あれしてボロボロになった経験から、女性の幸せにとって外見は非常に大きな影響を与えることを痛感してきました。肌あれしている頃、母から送ってもらった皮膚病に効くという温泉水に救われたり、ホルモン療法終了後痩せられたり、外見のトラブルが解決すると心まですーっと軽くなり、生きる気力が生まれてきます。

メディカルメイクは、生きていくため、前進するためのメイクアップ

メディカルメイクとは、病気による皮膚変色やアザ、母斑、事故の傷跡や火傷跡などをキレイにカバーするテクニック。通常のメイクアップとは違って、医療の現場に取り入れられています。メディカルメイクのボランティア活動を通じて、メイク1つで女性の生き甲斐が変わることに驚きを隠せませんでした。母斑に悩んできた人に「ありがとう」と声をかけて頂いた時、本当に私は幸せだと実感できたのです。
メディカルメイクに出会い、私は、またひとつ「気づき」を得る事が出来ました。
10年かかりましたが、自分が乳がん体験者である事を告白しよう。私の体験談が誰かのお役に立てるかもしれないと。
乳がん宣告から11年。2006年10月に「奈良ピンクリボンアピール2006」を開催、ピンクリボン活動を始めました。検診の大切さは勿論ですが、「自己責任において健康を守ること」「誰かと支えあうことの有難さ」も啓蒙しています。沢山の人に助けられ、励まされ、2008年にはNPO法人になって今年で5年目になりました。自分の経験を生かし、乳腺外科に行くことやマンモグラフィーを受けることなど、初歩的なことから絶対必要な正確な情報をもっと伝えていかなければと思っています。
ピンクリボン活動を続けていて一番嬉しかったのは、乳がんの手術をして不安にかられていた方から「手術をして15年後の中村さんのお姿とスタンスが私の支えです」と言われたこと。それは本当に嬉しかった。今まで地道に活動を続けてきて良かったと心底思いました。
乳がん手術、乳房摘出手術、そして再建手術の経験は、私にとって「儚さゆえの命の重さ」と「どう生きるかと云う生き方の尊厳」の学びでもあったのだと思います

私自身も、まだまだ、つまずきまがら日々、学びを実践している途上人です。
幾つになっても、女性としての夢を持ち続け、加齢に抗うアンチ・エイジング(=抗加齢)ではなく、なるべく老化を「スロー」に迎える「スローエイジング」を、メイクやフェイスマッサージ、オリジナルボデイケア、食事などを通じて伝えていきたいですね。

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